ぱぱりん子どもに勉強をさせている親の一番の悩みは、「続けてくれるかどうか」だと思います。
これは今まさに3人の子を育てている私も、毎日苦心しているところですし、特に幼少期はどうしたら継続できるかに注力していました。
それがうまくいったのか、うちの次男と三男は、5歳から小3の1月末まで公文に通いましたが、途中でやめることも、長く休むこともありませんでした。
この記事では、なぜ続いたのかを、うちでやったことと一緒に書いていきます。
先に結論です。うちでやったことは、この5つです。
- 始める前に家で少しだけ先取りして、「簡単」から始めた
- 歯磨きや三度のご飯と同じ、毎日やるものにした
- 1日の量は算数・国語5枚ずつ。増やしすぎない
- 進んだら目に見える形でほめた。兄の背中が目標になった
- 泣いた日も「行かない」は選ばせず、わかるまで親が付き添った。つまずきそうな所は先回りした
5歳までほとんどしゃべれなかった三男も、この形で小3まで続きました。
長男には公文をさせなかったのが、失敗だと感じた
長男は公文に通っていませんでした。
私自身、小学4年生のときに公文に通ったことがあったのですが、それが苦痛で苦痛で毎日が苦悶でした。
その記憶があったので、公文に抵抗があり、公文に通わせなかったのです。
小1までは親が計算問題を作るなどして家で勉強させていて、小1になる頃には3桁かける3桁くらいの掛け算を筆算でできていました。そのまま新小2で浜学園に入りました。
算数はなんとかなりましたが、困ったのは国語でした。入塾するまで国語にはほとんど触れておらず、文章題の読み取りと国語でかなり苦戦しました。
その経験から、次男と三男は「いきなり塾ではなく、まず公文で読み書きと勉強の習慣をつけてから塾へ」と方針を変えました。





長男が浜学園に通うようになって、有名な佐藤ママを知りました。その佐藤ママが公文を勧めていたのが大きかったです。
長男が浜学園に通わなかったら、佐藤ママを知ることもなく、おそらく次男も三男も公文に5歳から通うことはなかったので、今思えば、長男が人柱になってくれたのだと思います。
自分が苦痛だったのは、小4から、いきなり、一人でやらされたからだと思います。だから息子たちには、その逆をしました。
次男と三男は公文を始める前に、家で少しだけ先取りしておいた
次男と三男は公文に入る前から、家で少しずつ数と計算に触れさせていました。
小さい頃から、まずは一緒に数を数えることから始めました。1〜10まで数える。できたら10〜100、そして100より先へ。楽しくなるように気をつけながら、毎日繰り返しました。
次は足し算です。繰り上がりのない1桁+1桁から、繰り上がりのある1桁+1桁、そして2桁へと順に進めました。簡単な引き算まで進めたところで、公文に入りました。
ひらがなは2歳くらいから読めていたと思います。三男はしゃべれませんでしたが、今思えば文字は理解していたのかもしれません。
そのおかげで、公文に通い始めたときの教材(数の数え方や線の引き方)は、家でやっていたことより簡単でした。言ってみれば、ひとつ下のレベルから始まったわけです。
なので、公文に行くことへの抵抗はほとんどありませんでした。



今思えば、家で少しだけ進めておいて「公文って簡単やん」と思わせたのがよかったのかもしれません。
最初は親が送り迎えをしていましたが、いつの間にか、自分で行って自分で帰ってくるようになりました。
公文は、歯磨きや三度のご飯と同じ
うちで一番大きかったのは、これだと思っています。
公文をやるのは、歯磨きや三度のご飯くらい当たり前のこと。そういう感覚が、子どもたちの中にできていました。
- 旅行中でもやる
- 野球の日でもやる
- 体調を崩しても、少し元気になると自分から「公文やるわ」と言い出す
小学校に入ったときも、学年が上がったときも、生活が変わったことで崩れたことは基本的にありませんでした。
その根っこには、家の中の「勉強は続けて当たり前」という考えがあります。
子どもには「勉強を続けないと、お父さんみたいに出張で海外に行ったりできないよ。楽しい仕事ができなくなるよ」と言っていました。洗脳していた面もあります。
ただ、言葉だけで子どもが動いたとは思っていません。子どもが勉強している横で、私も英語の論文を読んだり書いたり、スライドを作ったりしていました。親も勉強している姿を見ていたのが大きかったのだと思います。
論文でなくても、資格の勉強でも読書でも、子どもの横で親が何かを学んでいれば同じだと思います。
とにかく、親はゴロゴロしない。横に座って眺めているだけでもいいと思いますが、どんな仕事でも何か学ぶことはあるはずなので、それを一緒にやる。確定申告や税金の計算、家計簿のように数字を扱っている姿でも、子どもには「親も勉強している」と映るかもしれません。
うちでは、勉強はダイニングテーブルでしていました。親もその一角に座って、最後の一人が終わるまで見届けます。
親ができていないことを、子どもができるわけがありません。親も頭を使う必要があります。この話は別の記事で詳しく書きます。


1日の量は「算数と国語を5枚ずつ」に決めた
宿題の量は、算数と国語を1日5枚ずつにしていました。
5枚が、無理なく毎日こなせるちょうどいい量でした。学年が進むと1枚が重くなるので、5枚より多くするとオーバーワークになります。
夏休みなどの長い休みだけは、教室にお願いして10枚にしてもらうこともありました。
やり方は、だいたい次のようにしていました。
- 5枚を一気に、時間を測って解く
- すぐに丸つけをする
- 間違いは5問以内に収める
- 間違えた問題は紙に書き出して、教室に行く前にもう一度解かせる
通っていた教室では、5問より多く間違えると次に進ませてもらえませんでした。だから家でも、5問以内に収まるように宿題と間違い直しをしていました。
小3になると、家で浜学園の教材にも少し触れるようになったので(塾に通うのとは別で、家で少し解いた程度です)、そこでも1日5枚がちょうどよい量でした。
ただ、何をどこまでやるかは、その子の力に合わせました。三男は浜学園のテキストまではやらず、次男の入塾テストのお下がりを何回か解いた程度です。


公文は進むのが目に見える。それを使ってほめた
公文のいいところは、進み具合が「A100」「C150」のように目に見えることです。
ひとつ上の教材に上がるたびに、「すごいやん!」「小1なのに小3のができるやん!」とほめていました。
ランクが上がっていくのが楽しい。そう思えるようにしていました。
教室にライバルがいると、なおいいです。
三男には、もうひとつ目標がありました。公文では、学年より3学年先の教材まで進むとトロフィーがもらえました。それを先にもらっていた次男に、三男は憧れていました。
張り合うというより、憧れです。自分も欲しいという気持ちがそのままやる気になって、三男も小3でトロフィーをもらうことができました。
実は次の年の分も条件は満たしていたのですが、3月まで在籍していることが条件で、三男は小3の1月末で公文をやめたので、2つ目はもらえていません。
それでも、泣いて帰ってきた日はあった
4年間、毎回すんなり行ったわけではありません。
うちの教室は、わりと放っておかれるタイプでした。「まず例題を見て、自分で考えましょう」という方針です。
分数の通分に入ったとき、予習なしでいきなり例題だけを見て考えても、わかるはずがありません。いつもは1時間弱で終わるところが1時間半かかって、泣いて帰ってきたことがありました。
それでも、病気やどこかに出かける日以外は、欠かさず通わせました。「行かない」という選択肢は、最初から与えていませんでした。
その代わり、解けない問題は、わかるまで横について付き合いました。図を描いたり、似たような問題をその場で作って、すっと解けるところから一緒にやり直したり。ここは労力を惜しまないことが大事だと思っています。
算数は積み重ねの教科です。曖昧なまま進ませると、必ずまたどこかでつまずいて、「もうやりたくない」につながります。だから、最初につまずいたところを重点的に、理解するまで付き添いました。
「やったらできる」という成功体験は、簡単なところからの積み重ねでしか作れません。それに親が付き合えるかどうかも、続くかどうかを分けると思います。
転びそうな石は、先に取り除いておく
中学受験を考えている家庭にとって、ここはとても大事です。
中学受験では、算数が大きな比重を占めます。公文の算数でつまずいたまま放っておいて、一度「算数が嫌い」になってしまうと、中学受験では致命的です。
だから、嫌いになる前に、苦手にならないような工夫を先回りしてしていました。次男が通分で少しつまずいたときは、次の単元で習うことを、あらかじめ家で少し教えておいたこともあります。
公文では「予習はしないでください」と言われることがあります。でも、それは理想論だと思っています。教材に載っている薄めの例題を数問見ただけで、解けるようになるわけがありません。低学年の内容ならそれでもいけますが、通分や分数の割り算を「いきなり解いてください」は無理です。
嫌いになっては元も子もありません。ある程度先回りして、転びそうな石は取り除いておく。これも親の大事な役目だと思います。
正解しているのに「ここは大事だから」と先に進ませてもらえないこともありました。次男は進級テストに合格したのに却下されて、復習をさせられたことがあります。三男は、同じところの繰り返しが特に多かったです。
泣いた日のことと、そのとき親として何を考えていたかは、別の記事に詳しく書きます。


次男と三男、同じ公文でもこんなに違った
次男:コツコツ、きっちり
次男はコツコツきっちりやるタイプで、能力もまずまず高かったので、「やりなさい」と言うこともなく進めていました。
詰まったのは、まったく予習なしで取り組んだ通分が必要な分数の足し算・引き算くらいです。それでも、泣いて「やりたくない」と言うことはほぼありませんでした。歯磨きと同じで、衣食住のひとつとして習慣になっていました。
国語も淡々と進み、進級テストで落ちたことは一度もありません(合格点なのに進級させてもらえないことはありましたが)。
新小3になる直前の3月末には算数がG60(中1相当)、小3の1月の時点で算数はH70(連立方程式)、国語はFⅡを終えていました。
三男:最初は「座って勉強できるのか」から心配だった
三男は、始める前は本当に不安でした。
5歳までほとんどしゃべれなかったので、問題が解けるのか、理解できるのか、そもそも机に座って勉強できるのかもわかりません。無理だったら撤退することも考えていました。
ところが意外にも、ちゃんと机に座って取り組めました。
次男を見ていたからなのか、やるのが当たり前だと感じていたのかはわかりません。でも次男と同じように、コツコツと進めていきました。
次男より「このくらいでいいかな」と自分で手を抜くところはありました。家で教えることも次男より多く、詰まることも多かったです。
それでも、嫌がって「行きたくない」と言うことはほとんどありませんでした。学校と同じで「行かないといけないもの」という感覚になっていたのだと思います。
結果的には、こちらの想定よりずっとスムーズに、算数も国語も進んでいきました。小3の11月の時点で、算数はG(中1相当)の途中、国語はEⅡの途中です。


続けた先に、塾で効いたこと
4年間続けて、塾に入ってからはっきり効いたと感じたのは次のことです。
- 鉛筆の持ち方
- 机に向かって集中すること
- 国語の力(長男との一番の違い)
- 出された宿題を、間違いなくやりきる習慣
ただ、公文の進度で地頭がわかるわけではありません。進度が速いからといって、塾で上のクラスに行けるとは限りません。公文で手に入るのは、続ける習慣と計算・読み書きの土台です。
やめどきは小3の1月末。そこで塾に切り替えた
次男も三男も、小3の1月末で公文をやめました。2月から浜学園の新小4の授業が始まるからです。中学受験塾の多くは、2月に新しい学年が始まります。
塾が始まると週3回の授業と宿題があり、公文を足す時間はありません。公文と塾の併用はおすすめしません。


まとめ
5歳から小3まで、公文が続いた理由をまとめるとこうなります。
- 始める前に家で少しだけ先取りして、「簡単」から始めた
- 歯磨きや三度のご飯と同じ、毎日やるものにした
- 1日の量は算数・国語5枚ずつ。増やしすぎない
- 進んだら目に見える形でほめた。兄の背中が目標になった
- 泣いた日も「行かない」は選ばせず、わかるまで親が付き添った。つまずきそうな所は先回りした
性格も、得意なことも違う2人でしたが、この土台は同じでした。
公文の時期に三男がどう進んだかは、月ごとの記録に残しています。




塾に入ってからの次男と三男が、毎月どんな成績で、どんな様子だったかは、成績記録の部屋に月ごとに残しています。三男の記録はこちら、次男の記録はこちらです。









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