今回は、中学受験って必要かどうかについて私の意見を書いてみたいと思います。
毎度毎度、Twitterで話題になる「中学受験って必要かどうか」という議論が繰り返されていますね。
私は、
公立小学校→地元の公立中学校→公立高校(進学校)→京都大学(非医学部)→国立医学部(仮面浪人)
という経歴です。
ずっと公立で培養された私ですが、子供には中学受験をさせています。
自分は公立出身なのに、子供には私立中学を受験させることに大きな抵抗はありませんでした。
なぜか?
子供が勉強している様子を観察していて、
無理なく中学受験をできそう
と判断したからです。
ここが非常に大事だと思っています。
小さい頃からの遊びや簡単な学習を通じて勉強ができそうか好きそうか得意そうか、親ならなんとなくわかるはずです。
特に、東大や京大などの高学歴をお持ちの親御さんだと、
「この子は勉強に向いてそうだな」
というのはなんとなくでも分かるはずです。
もしわかっていないのであれば、お子さんと接する機会自体が少ないのかもしれません。
ただ、注意しないといけないのは、
私は高学歴なんだから、子供も勉強ができて当然である
という固定観念です。
実際、私もそうですが、
自分の子ならできて当たり前
って思いがちです。
どうしても主観的になってしまいがちですが、お子さんを客観的にみて勉強が好きそうか、好きではなくても出来そうかどうかと冷静に分析する必要はあります。
分析と言っても、ガチガチに分析するのではなく、日々の遊びや学習を通じて判断すればいいだけです。
WISCなどの知能検査(IQを測る検査)は間違ってもしないようにしましょう。
精神科医をやっていますが、病的な行動が見られない限り、IQを測るためだけの知能検査はお勧めしません。
思ったより低くても、あるいは高くても、その数値に囚われて将来にいいとは言えない影響を及ぼす可能性があるからです。
ここでは詳細は割愛しますが。
自分の子は勉強が得意ではないのかもしれない
と、感じながら中学受験を強要すると親子関係が崩れ、子供の将来の可能性の芽を摘むんでいる可能性があります。
いやいやの勉強を強要すると、その先ずっと勉強に対して酷い抵抗感を感じることでしょう。
結果として、中学受験に臨まなければ生じなかった劣等感や嫌悪感から、高校受験や大学受験に悪い影響を及ぼしてしまいます。
勉強が得意だから偉いとか賢いというのではありません。
小学生の段階で、勉強ができないからダメだという判断をしてはいけません。
小学生というまだ未熟な時期に尋常ではない勉強をさせるには、適性を見極める必要があるということです。
特に小学生は、精神的な成熟度にばらつきが大きいです。
そういう意味で、早生まれは中学受験において若干不利ですし、精神的に早熟であればかなり有利です。
精神的に未熟であれば、勉強することの意味を理解できません。
いくら将来のために大事だといっても、今が楽しければいい小学生にとって全く通じません。
子供の学習能力と共に、成熟度、精神力なども加味して中学受験に耐えうるかどうか、向いているかどうか判断する必要があります。
特に国語の問題はかなりの早熟性を要求されます。
文章は難しいです。
難関中学にもなると大人が読んでも理解できないような内容もあります。
子供にとって論理的で抽象的な論説文は意味不明ですし、それを読むことの必要性すら理解できないでしょう。
小説やエッセイなどで出題される主人公の心情を読み解く問題においては、
「いろんな解釈があるから面白いんじゃないの?」
「それって問題作者の感想でしょ?」
というような問題も出題されたりします。
それを冷静に筆者よりも問題作者の出題意図を汲み取りながら解答するのです。
まさに早熟性が要求されますね
「自分の子が中学受験に向いているかどうか?」
第三者に判断してもらうのは難しい内容です。
確かに、塾に相談すると
「今はわからないけど、あと1年もすれば自覚が芽生えてきます。」
などと、塾を辞めさせないように「いいように」言ってくるでしょう。
また、中学受験に向いているとか向いてないとか、人生を左右することを他人が口出しするのも難しいです。
だからこそ、親がしっかりと見極める必要があります。
また、親の理想に当てはめようとしてもうまくいきません。
子の能力や潜在力を見極めながら、中学受験をするにしてもどのレベルを目指すか判断しないといけません。
ここに高学歴な親が抱きがちな問題が潜んでいます。
先にも書きましたが、
自分の子であれば最低でもこのレベルはクリアして欲しい
と、どうしても思ってしまいます。
このレベル以下の中学校だと私立中学に行く意味がない
とか
この偏差値以下の中学校だと世間体が悪い
とか、高学歴な親ほど感じてしまいます。
高学歴な親だと、親周囲も高学歴の親が多く、
「〇〇さんのお子さんは、最難関中に合格した」
「〇〇さんのお子さんは、塾でいつも高得点」
などの情報が入ってきがちなので、
当然、うちの子も負けていられない
と、心が穏やかに保てなくなってきます。
本来、子供のための中学受験であったはずなのが、いつの間にか「親のマウント合戦の道具」と化しているのです。
それを理解できずに突き進むと、
「いやいやながらやらされているので成績が伸び悩む子供」
VS
「こんなはずじゃない理想に届いていない子供にイラつく親」
と対立が生まれてしまいます。
こうなると本末転倒です。子供のための中学受験が家庭崩壊のきっかけとなってしまっています。
なんのために中学受験をするのか今一度見直す必要がありますね。
そして、長男が中学受験を終えて感じることは、
無理強いして高望みさせるよりゆとりある中学受験の方が精神的にも親子関係的にも良い
ということです。
長男の学習能力的に関西の頂点も合格できるのではないかと幻想(?)を抱いている時期がありました。
しかし、能力的にはあるかもしれないと思っていましたが、早熟性が不十分であると判断しゆとりある中学受験を選択しました。
・6年生の夏まで外で友達と遊びたい
・どんな日でもゲームはしたい(受験前日でも)
・国語が苦手
というのを長男の気持ちと能力を理解し遊ぶ時間も確保しながら志望校を決めていきました。
ゆとりがあると言ってもすんなりという意味ではなく、それなりの勉強は必要です。
勉強を嫌いにならない程度の学習時間で通る最大レベルの学校にうまく合格できたという感じです。
勉強を全くしなくても合格できるレベルという意味のゆとりという意味ではなく、長男の気持ちを汲み取りながら最大公約となるような学校を目標に置いたということになります。
結果として非常に良かったと思います。
まだ中学1年生ですが、勉強を嫌いになることなく今も継続しながら学校に楽しく通っている様子です。
もちろん、中学受験は向いていないけど高校受験や大学受験でうまくいくというケースもあるわけですね。
そこも親が見極める必要があるでしょう。
そこには、経済的な背景、住んでいる地域、先生とうまくやっていけるかどうかなどを勘定しないといけません。
特に公立中学から公立の進学高校を目指す場合、先生と良好な関係を築く必要がありますし、提出物、委員会、部活や積極的な課外活動など優等生になりうるかどうかも判断しないといけません。
まぁ、結果的に公立中学においても早熟性が要求されるわけですね。
先生の靴を舐めることは決してできないという尖ったお子さんであれば、内申点が悪くてもそれを凌駕するほど本番の試験で高得点を取る必要があります。
これができるのであれば、「私立中学を目指せばいいのではないか?」ということになってしまいますが。
まぁ、中学受験して私立中学に行く、公立中学から進学高校に行く、フリースクールに行く、いずれにせよ、難関大学合格を目指すのであれば、
勉強を継続する必要はある
ということです。
その前提は間違いないです。
勉強が向いていないのであれば、別の道を模索していく必要があるということです。
あるいは、勉強とは違ったルートで難関大学に入学する方法を考えるということになっていきます。
私の大学の友人(医師)は、
子に私立中学を受験させたけど無理はさせず、いけるレベルのところにした
といっていました。
だから不満という感じではなく、そこに楽しく通ってくれていたらいいというスタンスでした。
子供とも良好な関係のようです。
結局は、
親が受け入れられるかどうか
というのに全てが依存してそうですね。
結論を言えば、
万人に対して、中学受験は必ずしも必要というわけではなく、各家庭状況による
となります。
私個人的には、
とは思っています。
理由は?
以前の記事にも書いたのですが、
☑️ 職業選択の幅が広がる
☑️ 優秀な友を得られる機会が多い
☑️ 親を超えてほしい
という理由です。
公立中学でも友達は得られる機会はあるし、親を超えることだってできるという意見はあるかと思います。
確かにそうでしょうけど、「確率」としては私立中学に行った方が確率は上がるのは間違い無いでしょう。
ただ、これは私の意見であって、全ての人に当てはまる正解だとは全く思っていません。
理想の中学校に進学したものの現実と違ってダメだった
とか、そういうご意見も当然あるでしょうし、万人に共通して良い選択肢なんてあり得ません。
ただ、人生は一度きり。
小学校時代に親子で一つの目標に向かって頑張るという経験は良いものです。
それは受験でもいいし、スポーツでもいいし、遊びでもいいし、科学でもいいと思います。
そういう観点で、中学受験を子供と一緒に困難に立ち向かう挑戦として捉えるとまた見方が違ってくるかもしれません。
中学受験を目指したものの、途中で投げ出すこと、やめてしまうことはいつでもできます。
継続することは困難な道です。それは子も親もです。
やめる前にどうやってこの困難を一緒に攻略できるかと共に考えていくのは最終的にいい経験になっていきます。
いつものように説教っぽい雰囲気な記事になってしまいましたが、
「中学受験って必要かどうか」
について感じたことを書いてみました。
いろんな人がいていろんな意見がある。
皆さんはどのようにお考えなのかコメント欄に記載してもらえれば嬉しいです。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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